経済学者トマ・ピケティーの高校生のデモに関する重要な指摘。
高校生の主張、LFIの指摘と完全に一致しています。少し長いですが、フランスのデモを理解する上で重要な指摘。全訳貼っておきます。
「フランスにおける現在の高校生・学生運動は、マクロン主義の黄昏を告げるものだ。
若者たちが求めているのは、ただ一つ、教育を受け、質の高い高等教育にアクセスするための十分な資源である。そして今回の抗議運動は、現政権の失敗のなかでも、おそらく最も深刻なものを浮き彫りにしている。すなわち、2017年以降、学生一人当たりの予算が20%も減少したという、壊滅的かつ前例のない事態である。
政府は不誠実にも、高等教育予算の名目額が2017年の133億ユーロから2026年には155億ユーロへと増加した(17%増)ことを、ときおり誇らしげに主張する。確かにそのとおりだ。しかし、同じ期間にインフレ率は22%に達している。つまり、実質的には予算は5%減少したことになる。
さらに、学生数は260万人から300万人超へと、15%以上増加している。この結果、学生一人当たりの予算は約20%減少した。このことは、経済学者リュカ・シャンセルがオンラインで公開しているデータからも明確に確認できる。
実際に何が起きているのか。何十万人もの若者が懸命に勉強して高校卒業資格を取得しているにもかかわらず、彼らを高等教育へと受け入れるための計画が何も整っていないのだ。
技術系・職業系コースを修了する高校卒業生は大幅に増加した。しかし、彼らが進学するための高等教育機関、すなわちIUT(大学技術短期課程)やBTS(上級技術者養成課程)の受け入れ枠は、それに見合うほど増えていない。
その結果、多くの若者が、定員超過で、より費用のかからない大学の一般課程へと振り分けられている。しかも、そうした課程は、彼らのニーズや希望にまったく適していないことも少なくない。
これは、人材にとっても経済にとっても、甚大な損失である。そしてその背景には、深く不平等で、厳格な階層意識に支配された世界観がある。
マクロン派の考えでは、国家の繁栄は、ごく一握りの優秀なイノベーターや指導者にかかっている。それ以外の人々は、富が上から下へと滴り落ちてくるのを、辛抱強く待つことを期待されているのだ。
問題をさらに悪化させているのが、高等教育の受け入れ枠不足への対処が、きわめて不透明な方法で行われてきたことだ。Parcoursup(パルクールシュップ)と呼ばれる進学選考システムは、その仕組みが理解しがたいアルゴリズムに依存している。学生、家族、教員、研究者たちは繰り返し制度の変更を求めてきたが、十分な対応はなされていない。
これらすべては、2019年に当時の教育相ジャン=ミシェル・ブランケールが実施した高校改革の大失敗を背景としている。この改革は、将来の進路選択をますます複雑で予測困難なものにし、時間割の分断も引き起こした。さらに、地域間に根深く残る構造的な不平等も続いている。
経済学者アスマ・ベンヘンダが、フランスの国民教育制度の給与データを用いて行った研究によれば、パリやオー=ド=セーヌ県のような恵まれた地域では、契約教員や教職経験の浅い教員の割合はわずか10%にすぎない。
ところが、首都近郊のセーヌ=サン=ドニ県やヴァル=ド=マルヌ県のような、より貧しい地域では、この割合が50%にまで上昇する。
さらに、中等教育の教員一人当たりの平均給与は、最も貧しい地域では、最も裕福な地域と比べて約20%低い。優先教育地域に支給される、わずかな手当を考慮に入れた後でさえ、この格差は残るのである。
教育相がテレビに出演し、「セーヌ=サン=ドニ県はパリよりも手厚い予算配分を受けている」と主張するとき、彼が考慮しているのは学級規模だけだ。教員の給与の違いについては、完全に無視している。これは、教育相という職責にふさわしい態度とは言えない。
現実には、恵まれない地域では、学級の人数が多少少ないことはあっても、教員の資格や経験ははるかに乏しいのだ。
こうした仕組みが、実際にこれらの地域に利益をもたらしているのかどうかは、まったく明らかではない。
教育予算の不足、とりわけ学生一人当たりの支出減少を正当化するため、政府とその支持者たちは、フランスにはこれ以上投資する余裕がないと主張する。しかし、彼らの議論には二つの誤りがある。
第一の誤りは、公的債務の増加だけに注目し、国全体の富の増大を無視していることだ。
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